粉雪〜薬屋探偵妖綺談〜

深山木薬店〜表家業は万能薬屋。

『どんな薬でも症状に合わせてお出しします』

大きな声では言えないが、真っ当な薬屋では扱えないような材料、薬を用いることも少なくない。
わざわざ足を運ぶ客のほとんどが違法な薬の方を買い求めていく。
そして裏家業は『妖怪雑事相談所』
文字の意味そのまま妖怪相手の商売である、らしい。噂は深く静かに広まっていく・・・。




−全日本綱引き女子選手権準決勝−

『プル!』
『オーエス!オーエス!』

金切り声にも近い叫びで彼女達は一本の綱に渾身の力を込める。キリキリと綱が悲鳴を立てている。
後ろへ倒れるんじゃないかとばかりに身体を寝かせ、腰を落として全体重を乗せるように。
限界まで達した力と力の均衡がわずか一瞬に崩れたとき、一気に勝負はついた。

『ワーッ』

会場の観客が沸く。勝ったチームにとっては至福の時である。

「やったぁ」
「次は決勝だよ」

勝った喜びを抱き合いながら分かち合う彼女達。
ところがチームメイトの一人が力尽きたかのように未だ床に転がっていた。
「ねぇ、いつまで倒れているの。起きなよぉ」
「もぉ、挨拶しなきゃいけないんだから、ね?」
うつぶせに倒れたままの彼女の肩を掴んで揺り起こそうとする。が、どうしたことか反応がない。
「ちょっと、ふざけてないで・・・」
そこまで云った時、さすがに彼女の様子がおかしいと気がついた。
「・・・どうしたの、本当に大丈夫?」
「具合でも悪いの?」
優しくいたわるように彼女を抱き起こしたその時。

『キャーッ!』

彼女達の叫びが会場中に響き渡った。




−埼玉県警上流坂署−

『BTP?』
「死亡したのは太田愛美、T建設埼玉営業所に所属している女子社員です。死因は薬物による心臓麻痺。『BTP』という民間ドラッグが原因と特定されました」
「人肌の毒。か」
「服毒してから死亡するまでに5分位ですから、綱引き大会中に毒を摂ったことは間違いないのですが・・・」
「公衆の面前、いつチャンスがあったかだな」
「そうです。まだ自殺か他殺かも断定は出来ませんが」
それを聞いて高遠三次は苦い顔をした。表面上は単純に見える事件だけに捜査が難航しそうだという予感がしたからだ。
「おい葉山くん、聞き込みに行くぞ」
「はにゃー?わっかりましたー、先輩」
相変わらず気の抜けた御葉山の返事を聞いて、思わず高遠はこめかみを押さえた。




「灰色の木を金色に戻す薬をください」
それは深山木薬店に事件を依頼するときに使われる暗号だった。
客の相手をしていた座木は、その言葉を聞くと店主の深山木秋を呼び、入り口に鍵を掛けた。第三者の介入を防ぐ為である。
「お待たせしました。用件を伺いましょうか?」
秋のよく通る声に客が振り向くと、そこには小柄な、少年としか見えない人物が立っていた。伸び過ぎた前髪をクロスピンで留め、赤いゴムで後ろ髪を束ねたその容姿は、まるで女子高生にも見える。
「あなたが店主ですか?」
予想外に若い店主の姿に客は戸惑いを隠せないようだった。
「おや、僕じゃ力になれませんか?」
「い、いえ。そういうつもりで言ったのでは・・・」
客はT建設の事務員で大林早苗と名乗った。そして先日の綱引き事件を話しはじめた。
一通り説明を聞いた後、秋は訊ねた。
「なるほど。それで僕にどうしてほしいと?事件の解決なら警察の担当ですよ」
「いえ、それもあるんですが・・・」
そこで彼女は言いよどんだ。一呼吸おいてから言葉を繋ぐ。
「誰かはわかりませんが、犯人をこらしめてほしいんです」




「ザギ、お茶入れてくれ」
秋の注文通り座木が紅茶にクッキーを添えて運んでくると、匂いを嗅ぎつけて二階からリベザルが降りてきた。
「あー、兄貴ー俺にもくださいよ」
「心配しなくても用意してありますよ。早く手を洗っていらっしゃい」
「やったー、頂きます」
こうして深山木薬店一家三人が揃ったところで秋が口を開いた。
「さっきの話だが、どう思う?」
「えー、師匠。なんの話ですかー?」
リベザルは興味深そうに話に乗ってきた。
「やれやれ、肝心な時にいない奴の為に話をまたしなくてはならないとはね」
秋が露骨に不機嫌な表情を見せる。
「そんなー、師匠の意地悪ー」
「まあまあ、秋もつれなくしないで。私の方から説明しますよ」
「やったー。さすがは兄貴。優しいなー」
「どうせ僕は根性が悪いからね」
「リベザルも素直に聞くようにしないと駄目ですよ」
「・・・はい。わかりました」
リベザルが神妙にうな垂れてみせると、ようやく秋は機嫌を直した。
その様子を見て座木が先刻の客の依頼を簡潔にまとめて説明する。
「・・・えー、綱引きの全国大会なんてあるんですか?俺知りませんでした」
「なんだ無知だなリベザルは。もともとはオリンピック競技だったくらいポピュラーなスポーツなんだぞ」
秋がここぞとばかりにからかう。
「まあ、それはそれとして少し調査してみる必要があるな」
「それはそうですね」
「ということでザギ。T建設に行くとしようか」
「えー、師匠ー俺は?」
「お前は留守番・・・と言いたいところだけど、ひとつ頼もうか」
「なんですか?」
「ザギの妹ということにして一緒に来なさい」
「えー、俺は男ですよー?」
「なに、変身すればいいじゃないか」
彼ら三人は妖怪である。今は人間の姿をしているが元々本来の身体は獣の様な形である。つまり別の姿になることは当然の様に出来るのであった。
「・・・俺、女の子になるんですかぁ?」
「頼んだぞ」
しぶしぶリベザルは頷いた。
「あ、そうそう、さっきの依頼人だけどね」
秋が思い出したように言った。
「あれは、妖怪だから」




T建設敷地内の体育館。ここで綱引き部の練習があると聞いて秋たちはやってきた。
入り口が開け放たれていて、そこから熱気のこもった声が漏れてくる。
「よし、行くか。リベザルお前はザギの妹で咲子ということにしておけ」
「えー、師匠やっぱりはずかしいですよー」
赤地に白の水玉模様のワンピース姿になったリベザルは頬を赤らめて座木の後ろに隠れるようにしていた。
「いえいえリベザル、とても似合ってますよ」
座木がフォローの言葉をかける。
「いつまでも突っ立ってないで入るぞ」
「ち、ちょっと、まだ心の準備が・・・」
「問答無用!」




三人が中に入ると、ちょうど実戦さながらの練習をしているところであった。
「うわ、すごいですねー師匠」
「リベザル忘れるな、お前は女の子なんだぞ。もうちょっと上品に話したらどうだ?」
そんなやりとりをしているところに突然声をかけられた。
「あー、深山木さんだー。座木さんも一緒ですねー」
上流坂署の御葉山刑事であった。
「うれしいなー。こんなところで会えるなんて思ってなかったなー」
満面の笑顔で近付いてくる。
「りょりょ?その子は?」
早速、女の子に化けたリベザルに目を止めた。
「や、恥ずかしながら私の妹でして。今度学校で室内運動会があるので見学に来たんですよ」
「さ、咲子です。はじめまして」
未だに自分の身体に慣れることが出来ずに、居心地が悪そうにしているリベザルを見て葉山は大げさに言った。
「にゃー、座木さん妹いたんですねー。うっわー、かわいいなー」
「深山木さんも座木さんも綺麗だしー。いいな一人欲しいなー」
煩悩まみれの葉山の発言に三人が苦笑を禁じえないでいるとき、高遠が苛立ちを隠せない様子で言った。
「おい葉山。いつまで話しこんでいるんだ」
「あ、先輩が呼んでるー。じゃーねー、また会おうねー」

「やれやれ、やっと行ってくれたか」
秋がため息をつきながら言った。
「じゃ、僕は依頼人の大林さんに話を聞くから、ザギたちは被害者について色々聞いてくれ」




秋たち三人が綱引き部の選手たちに話を聞いている頃、高遠と葉山も聞きこみを続けていた。
「うーん、話を聞いてる限りでは何も見えてこないな」
高遠が腕組みをしながら考え込んでいた。
「これは実際に綱引きを体験してみれば何か思いつくかもしれんな。おい葉山」
「んあ?なんですか先輩」
「お前、あれやってみろ」
「あれって・・・えーオレが綱引きやるんですかー?」
「何事も経験だ。いいからやれ」
「ふぇー」
嫌な予感がした。




葉山は死亡した太田愛美と同じ真中のポジションにいれてもらい綱を握った。
「いやーなんか懐かしいなー。学生時代を思い出しちゃうね」
彼がのんきに構えているとき号令がかかった。

『プル!』
『オーエス、オーエス!』

「おりょー!?」
葉山が予想していたよりもずっと激しい綱引きが始まった。彼は力の配分もわからず振り回されているだけである。
「にゃ、にゃっ!?」
とにかくしがみついていよう、と葉山はただ綱を握りつづけた。
そして、ほんの数分後に決着がついたとき彼は綱引き部メンバーにもみくちゃにされていた。
「ふぇー、やっと終わりましたかー」
と、綱から腕を離そうとしたとき、自分の右腕がありえない方向に曲がっているのに気がついた。
「ふぎゃー、お、折れてるぅー」
試しに軽く力を入れようとしていたが激痛が走るだけだったようだ。
「おい葉山、大丈夫か?」
葉山は高遠の言いつけで何度か大怪我をしたことがあり、今回もまた続いた形になった。
「もー、これだから先輩と行動するの嫌なんだよなー。今度こそ警察辞めてやるー!」




秋たちは自宅兼店舗の深山木薬店に戻り、今まで聞いてきた話をまとめた。
「つまり太田さんは他殺の可能性が強いということですね?」
「ああ、どうやら監督とつきあっていたらしいんだが・・・」
監督は最近、本社の専務の娘と見合いをしたらしい。それで死亡した太田愛美に別れ話をしていたという。
「ということは彼が邪魔になった太田さんを殺したとでも?」
「うん、僕はそうだと思ってるよ」
「あ、そういえばリベザルが聞いてきたんですが・・・」
かわいい少女姿のリベザルは部員たちに大変良くしてもらったようだ。そこでいろんな話をしてかまってもらっていたのである。
「太田さんはスポーツ観戦が好きで、特に大相撲がお気に入りだったとか」
「相撲?」
「ええ」
「そいつは最大のヒントだね」
「そう思いますか?」
「ああ、僕はこれから薬品の調合に入るから、ザギは依頼人に電話して来てもらうように言ってくれないか?」




今回の依頼人、大林早苗が深山木薬店にやってきた。その知らせを聞いて秋が対応に出る。
「大林さん、ちょっとお聞きしたいんですが」
「なんでしょうか」
「あなたは太田さんの何ですか?それによって答えを決めますから」
思いがけない秋の言葉に彼女は目を丸くしたが、ややあって言った。
「あなたがたもお気づきでしょうが、私は人間ではありません」
秋は黙って頷き、話を促す。
「私は彼女の家の家守なんです。ずっと彼女が小さい頃から見守ってきました」
「・・・」
「それが、突然亡くなってしまうなんて・・・このままでは私の存在意義が消えてしまいます」
「・・・」
「もちろん彼女が自殺でないことはわかっていました。だからせめて・・・」
「・・・わかりました。そう言う事情なら、これをお使いなさい」
秋はそういうと綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出した。
「これは?」
「チョコレートです。さいわい明日はバレンタインデーだから、これを監督に渡すといい。これであなたの願いは叶うでしょう」
「・・・ありがとうございます」
彼女は秋からチョコを受け取ると、大事そうにかかえて帰っていった。




「監督ー、チョコレートです」

綱引き部の女子部員たちはめいめいに色とりどりのチョコを渡していく。もちろんその中には秋が調合したチョコレートも含まれている。彼は準備室の自分の席に集まったチョコを見て、締りのない笑みを浮かべていた。自宅に帰ってから酒のつまみ代わりに食べるつもりである。

「今年は思ったよりもらえたな。お返しが大変だぞ、これは」




その夜。
自宅で秋の調合したチョコを食べた監督は、突然幻覚に突き動かされていた。
密かに隠していたBTPを服用し、酔ったように外へ飛び出していく。
何が楽しいのか狂ったような笑いをあげながら夜の街に消えていった。




ある日の夕刊に小さな記事が載っていた。

『T建設綱引き部監督覚せい剤所持逮捕、殺人の疑いも?』

「これは?」
記事を見た座木が秋に問いただす。リベザルも一緒に話を聞こうとしている。
「あー、やっぱり捕まったか」
「どういうことですか」
「うん、やっぱり犯人は監督だったんだよ」
死亡した太田愛美が大相撲ファンであったというところに注目した秋は、彼女に何か癖がないか大林早苗に聞いていたのだ。
「そうするとね、やっぱりあったんだよ」
「それはどんな?」
「彼女がひいきにしていた力士の気合の入れ方をよく真似していたというんだ」
つまり力士が土俵の上で清めの塩を撒く際に、各人がいろんな気合の入れ方をする。
ある者は頬を叩き、ある者は肩を交互に叩く。そして太田愛美のお気に入り力士は・・・?
「親指の腹をペロッと舐めていたんだね」
「ああ、なるほど」
「もちろん監督はそれを知っていたのさ。それであるものに毒を混ぜた」
「あるもの?」
「綱引きのすべり止めに使う、炭酸マグネシウムだよ」
「ええー?本当ですかー師匠」
「事実そうだったのさ。普通まさかそんなものを舐める人がいるとは思わないからね、警察だって調べなかったんだろうよ」
「それは確かにそうかもしれませんね」




「師匠、あのお姉さんどうなるんだろう?」
「多分もう、人間界には戻らないかもね」
「なんか、かわいそうだよー」
「もう決着はついたんだ、いいじゃないか」

そういうと秋は座木にお茶を要求した。
ふと目をやった窓の外には粉雪が舞い始めている。依頼人には主人を殺した毒に見えているかもしれない。


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