forget me not
開け放した窓の向こうから春の風が飛びこんできた。
近くに見える桜並木は花満開で、周りを淡くピンクに染めている。
そこから風に乗ってやってきた1枚の桜の花びらが部屋の中へ舞いこみ、手にしたティーカップの中にふわりと浮かんだ。
しばらく見つめていると、花びらは甘ったるい匂いを発してシュッと溶けてしまう。
『ふん。贋物はこれだから・・・』
紅茶を口に含むと嫌な苦味が舌を刺激した。
「もう、これ飲めないわね」
ティーカップをテーブルに置いて立ちあがり、窓を閉めた。
※
あたしはこのドームの街が好きになれなかった。
産まれたときからずっと暮らしてきた街だけど・・・
周りにある何もかもが贋物でしかないんだから・・・
※
母なる地球は、遥か昔に人類のものではなくなっていた。
地球暦2000年代から大気汚染が加速度をあげて深刻化していた。
また、エネルギーの大半を占めていた石油資源が枯渇しはじめたことで、次第に核燃料によるエネルギーに切り替えざるを得なくなっていたが、技術の未熟な国では放射能汚染などの問題を起こすことが多かった。さらには残り少ない資源の利権をめぐり戦争が行われる国も出てきた。
こういった事件の繰り返しにより、世界各地で何かしらの破壊が進んでいき、最終的には人類は地球の環境に適応できなくなるところまで追い詰められてしまったのである。
そこで人類存続の可能性を賭けて早急に宇宙開発がはじまり、ほんの数十年の間に新たな居住の地を作り上げていった。
今では宇宙の各惑星や衛星にかつての地球と同じような環境を作り上げて生活している。
もはや人類は宇宙を放浪する移民でしかない。
地球はもう、滅び去ったのだ。
※
ふと気が付いたら歴史の講義の時間になっていたので、急いで専用のブラウザを立ち上げる。
モニタの向こうで先生がちょうど地球のことを説明しているところだった。
いけない、ちょっと遅れちゃったな。
『この街は地球の日本という国を模していることはみなさんご存知ですね?』
『まず日本には四季というものがありました』
『春夏秋冬・・・春秋は過ごしやすい気候で夏は暑く冬は寒い』
そんなこと言ったって・・・ここじゃただ空調をいじってるだけじゃないの・・・
あまり授業に身が入らない気分だったので講義内容はデータに録画して後で見直すことにし、あたしはベッドに倒れこんだ。
※
ピピピ・・・
アラームの音がするので目を開けた。つい、そのままうたた寝してしまったらしい。
音のしたほうを見れば、モニタに映った優しい笑顔の男の子があたしに話しかけてきた。
『おはよう。今日の講義また録画したんだって?さっき先生愚痴こぼしてたよ』
「うるさいわねぇ。あたしはあんたのように頭の出来がよくないんだから」
『あはは、でも3回録画で1回欠席扱いになっちゃうからほどほどにしないとね?』
「はいはい、わかってるわよ。で、何か用なの?」
『もしかして寝ぼけてる? お昼食べに行こうって約束したじゃないか』
「あ、ごめん。支度するから待ってて」
着替えを見られないようにモニタをシークレットモードに切り替える。
あいつは時間にうるさいから急がなくちゃ・・・
※
人類が宇宙へ安住の地を求めてから数世紀。
ここにいたってある問題が起こりつつあった。
女性不足である。
人類が地球を脱出した当時に何があったのかは規制がかかって詳しくは語られていないが、本当のことを言えば宇宙へ旅立てる者はそれほど多くはなかった。基本的に財力のあるものばかりが主立っていたであろうということは容易に想像できるが。
そしていざ移住してもこれまでの地球のように簡単に生活するわけにはいかなかった。
未知の病原体や重力の違いによる体調の変化。環境の変化についていけない者はたやすく命を落としていった。
そして今。
どういう訳か男女の比率がアンバランスになってきているのだ。
何が原因かはわからないが、出生されてくる子供が男性ばかりになるという奇妙な現象が各地で起きていた。
このままでは生産性が低下し、またしても人類が滅亡の危機に立たされることになる。
※
いつものデートコースになっているレストラン。
2人とも同じランチを注文し、来るのを待っている間にとりとめのない会話をする。
しばらくしてふと、言葉がこぼれるようにあたしはこんなことを口にしていた。
「あたしね、最近なんだかつまんないのよ」
突然のセリフに彼は戸惑いの表情。
「・・・それって、僕と一緒じゃ退屈だってこと?」
一瞬の間。それからなんだか悲しそうな口調で言葉を返された。
あ、そうか。そう受け止められても仕方のない発言だよね。小さく手を振り慌てて否定する。
「ううん違うの。そういうことじゃなくてね・・・」
自分の胸の内にあるもやもやとした不安。
うまく説明できないけど聞いてもらいたかった。
「この街がね、なんとなく気に入らないの」
産まれたときからずっと暮らしてきた街だけど・・・
周りにある何もかもが贋物でしかないんだから・・・
※
「わりと美味しいランチだったね」
店を出てそのまま散歩。今朝、窓から見た桜並木の下をあたしたちは歩いている。
時々柔らかい風が吹き、はらはらと花びらが舞い落ちる。
ホント、実にうまく演出しているもんだ。なんて皮肉に感じてしまう。
「これが君の言う贋物でしかないものだね」
彼が手のひらで花びらを受けとめると、ややあって蒸発するように消えた。
「僕なんかは道路を掃除しなくてすむから楽だな、なんて思っちゃうけど確かに不自然かもね」
彼は優しい。あたしを大切にしてくれるのがわかる。
他の人が聞いたら疎ましがるような話でも真剣に聞いてくれる。
そう思うとなんだか申し訳ない気分だ。
「ごめんね。なんか変な話をしちゃって」
「いや、そんなことないよ」
「そうだ。今度いいものを持ってきてあげるよ」
「いいもの?」
「今は内緒。楽しみにしててよ」
彼はウィンクして悪戯っぽく笑った。
※
『残念ながら被検体402号は自殺した模様です』
『またか!一体何がいけないというのだ?』
『私にはわかりかねますが・・・』
『仕方がない。報告書をまとめておいてくれ』
※
今まで講義をさぼっていたツケがきたのか、結局あたしは補講を受けまくる羽目になってしまい、ここ数日は講師とマンツーマンでモニタに向かい合っていた。
そんなわけで今日は久しぶりのデート。
「はい。このまえ話した【いいもの】をプレゼントするよ」
そう云って彼は可愛いリボンに飾られた小さなガラス瓶を差し出した。
「あ、ありがとう。でもこれなぁに?」
「その中にはね、植物の種が入っているんだ。もちろん本物だよ」
小さな小さな粒々がガラス瓶の底でサラサラと音を立てる。
「僕のおばあちゃんが地球から持ってきたものなんだって。君に育ててもらえると嬉しいな」
「え、本当に? そんな大切なものもらっていいの?」
「いいんだよ。これで少しでも君の中にある不安が軽くなるのなら」
この前あたしが愚痴を云っていたのを受けとめて、こんなことを考えてくれたんだ。
やっぱりこの人にはかなわないなぁ。
「本当にありがとう。おばあちゃんにもお礼を伝えておいてね。ところで、これはなんていう植物なの?」
「忘れな草というんだって」
※
翌日には配合肥料入りのポットを入手し、
彼から教わった通りに育てはじめた。
一体どんな花が咲くのだろう?詳しいことはあえて調べないままに育ててみようと思う。
※
やがて小さな緑の芽が顔を出してきた。はじめて見る新しい生命。
あたしが人間以外ではじめて見る新しい生命。
※
それは日を追うごとにだんだんと大きくなっていく。
もちろん知識として知ってはいたけど、実際に成長する様子を見ているとちょっと違和感がある。
なんて云えばいいのか、ちょっと怖いのかもしれない。
あんなに贋物を嫌っていたはずなのに、
この思いは何だろう・・・?
※
そして、可愛らしい空色の小さな花が咲いた。
※
「あ、花が咲いている!」
目覚めたとき、窓際に置いたポットの変化にあたしは驚いてしまった。
しばらく見とれるように眺めた後、すぐ彼に報告。
彼にも見てもらわなきゃ、ね。
「ねぇ見て。こんなに綺麗な花が咲いたの!」
モニタの向こうで彼は目を丸くして、そして優しく笑った。
『ほんとに綺麗なものだね。僕も嬉しいよ』
「・・・ありがとう」
いろいろ伝えたいことはあるはずなのに、うまく言葉が出ない。
『そういえばおばあちゃんに聞いたんだけど、花には花言葉といって意味が隠されているんだって』
「そうなの?じゃあこの花にもあるんだ?」
それを聞いて彼は『もちろん』と頷いた。
『私を忘れないで』
※
人類が宇宙に進出してからかなりの時がたつにつれ、各地の繁栄と比例するかのように犯罪も発生するようになってきた。
これは生活の地盤が安定してきたということかもしれないが、このままでは愚かにも古代の地球と同じことの繰り返しになりかねない。と、識者は警告していた。
緊急に対策委員が発足し会議が繰り返される。
あるとき、一人の学者が大胆な対策を提案した。
『現在は深刻な女性不足でもありますし、それならいっそ彼らを女性に変えてしまうというのはいかがでしょうか』
彼の発案とは、重度の男性犯罪者の肉体を遺伝操作によって女性体にし、洗脳をかけ元から女性だという意識を植え付けた上で社会に復帰させるというものであった。
これによって犯罪者を収容しておく予算は軽減できるし、また多少なりとも男女の比率を変えていけるのではないか、という期待をも見込める一石二鳥の妙案であった。
一部に否定の声はあったものの採用が決定し、
そしてプロジェクトは実施された・・・
ところが、いざ実際にプロジェクトが行われてみると、女性に変えられた被検体はある程度の期間が経過するとどういうことか七割くらいの確立で自ら命を絶ってしまうのだ。
現在のところ原因はわからない。だが、仮にも人類の存続がかかっている以上はプロジェクトを続けていくしかない。
人である以上、試験管で子供を量産していくようなことだけは少なくとも避けたいものである。
家族という温かみさえもなくしてしまったら哀しすぎるではないか。それが対策委員の皆に一致した思いであった。
※
飽きることなく花を眺め、愛しさに満ちた気分の毎日。
ささやかだけど、幸せだった。
だけど、そんな思いを無視するかのように花は次第に色褪せはじめてきた・・・
※
「ねぇ、どうしよう・・・花が散ってしまったの」
『残念だけど僕たちには何も出来ないよ。本物の植物だから寿命には逆らえないんだよ』
ほんの数日で醜く萎れてしまった忘れな草をモニタ越しに見て、彼は小さく首を振った。
※
本物でもダメなんだ・・・
少しずつ色が抜け、セピアに変化していく忘れな草を見つめて思う。
押し寄せる不安。得体の知れない闇が心を蝕んでいく。
このままじゃ、耐えられない。
※
『あっ、被検体756号の様子が変です』
『なに?』
『脳波が極度に乱れています。危険な兆候です』
『これは再教育にかけなくてはいけないかもな。至急身柄を確保するように』
『はい、そのように伝えます』
※
あたしはこのドームの街が好きになれなかった。
何もかもが贋物でしかないんだから・・・
※
儚く枯れてしまった忘れな草のポットを床に叩きつけ、
窓を大きく開け放ち、あたしは宙へ飛んだ。
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